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長男、高校3年を繰り返す(11/09/2010)~ No. 11

8月 5, 2014 By えり子 マクリーン Leave a Comment

ニュージーランドの学校教育は日本に比べて体験教育が豊富で、その上個性が生かされるシステムだ。特に高校の最後の3年間は選択教科制なので生徒たちは自分が好きな科目を中心に教科を選べる。

私の長男はアートが得意で高校の3年間は必須教科のほかは油絵、製図(グラフィクス)、デザインとすべてアート系の科目で固めていた。

長男が高校生だった当時、ニュージーランドは国家試験制度をとっており生徒たちは日本の高1(NZ11年生)、高2(NZ12年生)、高3(NZ13年生)は年末に国家試験を受けなければならなかった。(注―現在は年間を通してNCEAという国家認定の単位を取得するというシステムに変わった)

そんなわけでアートも毎年、国家試験を受けなければならず、その合格基準はとても高かった。ニュージーランドの学校教育ではどの教科でも常に自分の考えや理論を表現することを要求される。だからアートでも国家試験の基準に合わせて生徒一人ひとりが自分でテーマを見つけ、なぜそれを選んだか、どうそれを表現したかなど説明しなければならない。続きを読む

自転車少年(12/8/2010)~ No. 10

8月 5, 2014 By えり子 マクリーン Leave a Comment

長男が自転車に乗って遠くに出かけるようになったのは15歳の時だった。体はどんどん成長していくのに心はまだ子供でアンバランス、何かと扱いにくい年頃だった。

そんな彼に義父さん は「部屋にこもるな。何でもいいから門から外に出て何かを見つけて来い」とよく言った。そしてある日、長男が遠乗り用の自転車が欲しいと言い出した。自転車に乗って、ハミルトンに引っ越していった友達を訪ねたいと言うのだ。ハミルトンまではゆうに250キロはある。私は驚いたが、義父さんは息子にどうやって実行するのか計画をたてるようにといった。

息子はさっそく自転車のカタログを集め、遠乗りにはどんな自転車がいいのか、何が必要なのかなどを調べはじめた。私たちもサイクリングの実用書などを買って渡したりする。

その内、息子が自分で自転車を買うお金も目途をつけたので、ついに家族で自転車を探しにハミルトンまで遠征することになった。 ハミルトンではいくつかの自転車屋を見て回った。その日1日がかりで何とか予算と目的に合った自転車がみつかり、ヘルメットと携帯用のパンク修理道具も買いこんで、息子は大満足だった。続きを読む

自給自足の教え2(12/7/2010)~ No. 9

8月 5, 2014 By えり子 マクリーン Leave a Comment

私達は牛のほかにも時々豚を育てる。

これは家庭用のベーコンやハムを作るためで、たいがい乳離れした子豚を2匹買ってきて残飯や飼料をあたえて育てるのだが、豚は牛と違って成果が早く3,4ヶ月もすると十分食するに足る大きさに育つ。

ある時、義父さんがが末息子に「豚を育ててみないか」と持ちかけた。

その頃、末息子は思春期の難しい時期に差し掛かっていて「学校の勉強がつまらない」だの「大人の規則はバカらしい」だのと言い出し始めていた。

そんな末息子に義父さんは子豚の値段、餌代、加工代全てをあわせて店で買うベーコンの値段よりも安く上がるようにやってみろと言った。その面白そうな提案に末息子はすっかり乗り気になりやってみることになった。

義父さんはさらに2つの助言を付け加えた。豚の餌の確保のためにカボチャのような簡単に育つ野菜を育てて市販の飼料をなるべく買わないようにする。また既存の豚小屋がだいぶ傷んでいるのでこの際きちっと作り直す。続きを読む

自給自足の教え1(12/6/2010)~ No. 8

8月 5, 2014 By えり子 マクリーン Leave a Comment

私達の住んでいる10エーカーのファームは一般にニュージーランドでは“プレジャーファーム(趣味の農場)”と呼ばれ、ビジネスでやっている酪農場や食肉用の牧畜農場とは区別される。

それでも一応農場ではあるので牧草の管理はビジネスファームと同じようにやらねばならない。それで私達も常に牛を飼って牧草が伸び放題にならぬよう調整しているわけだが、義父さんが来て以来、私達は乳離れしたばかりの去勢した子牛を買い、それを1年か2年育てては売るというサイクルを繰り返している。それ以上大きくなると力も強くなり気性も荒くなるので私たちのような町中の小さなファ-ムでは飼うのが難しいからだ。

また牛を買うときは季節や天候を考え、牧草の量や伸びを予測して頭数を決める。大体いつも10エーカーで10頭前後だ。1エーカーで1頭と聞いて私は初め驚いた。10エーカーで50頭ぐらい詰め込めると思っていたからだ。するとオーストラリア人の友達が「私の育ったオーストラリアのファームでは暑くて乾燥しているので牧草が伸びにくく10エーカーに羊が1匹しか飼えなかったわよ」と教えてくれた。そうか動物の頭数は土地の肥沃度や天候で決まるのかと私は初めて気が付いた。続きを読む

ニュージーランドの頑固オヤジ (12/05/2010) ~ No. 7

8月 5, 2014 By えり子 マクリーン Leave a Comment

思春期を迎えた子供というのはともかく扱いが難しい。それまで母親一辺倒で母親のルールがすべてだった子供達が少しずつ手強くなり始める。母親にとって特に男の子は難しくて、強い父親の存在とサポートが必要となってくる。

義父さんが家族に加わった時、長男は12歳で、ちょうどその難しい時期にさしかかっていた。甘えの裏返しで母親に平気で生意気な口を利き、言うことを聞かない。

ある時、例によって息子が反抗的な態度で私に口答えをしはじめた。そして弾みがついて私に英語で悪い言葉を投げつけた。

とたん! 義父さんは息子を押さえてすかさず言った。

「おい、君が今最低のマナーで接している人は僕の大切な奥さんなんだぜ」と。それ以来、息子は決して私に英語で悪態をつかなくなった。続きを読む

馬を売る話 (13/04/2010) ~ No. 6

8月 5, 2014 By えり子 マクリーン Leave a Comment

ニュージーランドに渡ってからすぐ、娘は乗馬を習い始めた。乗馬の先生グレタはオランダ人で、乗馬暦が長く、優雅なドレッサージの名手だった。ドレッサージとは馬場でいろいろな技法で馬を乗りこなす競技で、馬に技を教え、乗りこなすには忍耐強い練習が必要だ。

娘は最初トインクルという利口で穏やかな老馬を借りてレッスンを始めたが、しばらくすると自分の馬が必要だということになり、スパイダーマンという異名をもったこげ茶のおす馬を買った。ニュージーランドでは馬の売買は乗馬愛好者の間では頻繁に行われていて、地元の乗馬クラブを通して友達の馬を買ったり、新聞の広告を見て買ったりする。私たちはそれまでまったくそうした経験がなかったので、グレタの勧めで娘と同じ年の女の子が乗っていた馬を紹介してもらって買うことになった。

このスパイダーマンはとても変わった馬で、まったく孤独に弱い馬だった。パディック(牧草地)に自分ひとりでは一分もいられない。ハイジャンプの名手なので、自分1頭だけと悟るや否や柵をジャンプして飛び出し、他の馬を探し回るという悪癖があった。続きを読む

にわかファーマー(13/03/2010)~ No. 5

8月 5, 2014 By えり子 マクリーン Leave a Comment

私達はフィティアンガの町中の約10エーカー(約40000㎡)の小さなファームに住んでいる。ニュージーランドに移り住んで3年目に自分の土地で馬を飼うという夢を実現させ、家を建てて住み始めたのだが、住んでみてすぐ広い土地の管理が思ったより大変なことに気がついた。

義父さんが移ってきたとき、私たちの土地には友達のサラブレットが2頭と私と娘の馬が2頭で、あわせて4頭の馬がいた。毎日、夕方になると娘と私は交代でパディック(放牧地)のあちこちから山のような馬糞をあつめてきて始末し、鍬を持って馬に食べさせられない雑草を取って回り、夏には近所のファーマーに頼んで干草を作りと乏しい知識でファームの管理に奮闘していた。

ところが義父さんがやってきてまず決行したことは馬を2頭にへらし、牛をおくことだった。彼曰く、

1.馬は強い前歯をもっていて、牧草を地面すれすれの根元まで噛み切って食べる。続きを読む

改革の始まり(13/02/2010)~ No. 4

8月 5, 2014 By えり子 マクリーン Leave a Comment

ニュージーランドに住んではいたけれど義父さんが来るまでの私達母子の生活ルールは純日本風だった。

特に母親の大事な役目の一つは料理で、毎日、母親は家族の健康を管理しバランスよくメニューを決めて料理し、家族は黙ってそれを食べる。

日本にいた時、日本の夫はいつも夜遅く帰って、新聞を読みながら食べるのが常だったから食事に注文をつけるということも無かった。

だから義父さんと暮らすようになってからも私は当然のように料理を担当し続けた。そしてそれが10年以上も自炊をしてきて、日本食にもなじまなかった彼にとっては便利なようで不便なことだということに気づかなかった。

ある日「君は僕のために料理をしてくれなくても良いんだよ」と言い出した。意味が分からず怪訝な顔をしている私に「君は自分の食べたい物を作ってくれていいんだ。でも時々僕がそれを食べずにトーストを焼いて食べたとしても気にしないでほしい」と。続きを読む

インスタント・ファミリー誕生 (13/01/2010) ~ No. 3

8月 5, 2014 By えり子 マクリーン Leave a Comment

戦後の高度成長期以来、日本の家庭には長いこと父親不在が続いてきた。望むと望まないにかかわらず父親は仕事一筋、家事や育児、子供のしつけや教育は完全に母親まかせの分業社会だ。日本での私の結婚生活もごたぶんにもれなかった。だからニュージーランドに移り住んでも子供たちにとってその生活はこれまで通りで、相変わらず母親を中心に続いていった。

しかしその母親が再婚した。そして子供たちにとってはいやもおうなく、その相手の男が移り住んできたのだ。当時、私たちは10エーカーの農場に母子住んでいたのだが、そこに義父になる男が移り住んできた。それはまさに青天の霹靂、私達母子にとって驚きと戸惑いの生活の始まりだった。

長い間、私を中心に回ってきた母系社会型の我が家に、早くに母親を亡くしたため父親に育てられ、子供の時から狩猟で鍛えられた父系社会型の男が入ってきたのだ。その上その男は体格も大きく力も強く何といっても存在感がある。3人の子供たちはおおいに戸惑ったが、特に拒否反応を示したのはその時12歳だった長男だった。続きを読む

義父さんとの出会い ~ No. 2

8月 5, 2014 By えり子 マクリーン Leave a Comment

3人の子供とニュージーランドに移り住んで4年目、私は43歳で再婚した。二ュージーランド人の夫はその時35歳で初婚だった。

学生時代から行動派で理屈っぽかった私は20代後半に平凡で保守的な結婚をしてからも常に現実の向上を目指し、肩を怒らせて独走しがちだった。

塾漬けだった日本の学校教育に疑問を感じ、「窓際のトットちゃん」の黒柳徹子さんが通ったトモエ学園にあこがれ、シュタイナー教育に傾倒し、その結果、結婚13年目にして子供を連れて日本を飛び出したのだが・・・

最初の3年間、私は新天地での理想の実現に燃えて夢中で生活をした。

その新天地、ニュージーランド北島フィティアンガは素晴らしく美しい町だ。ニュージーランド最大の都市オークランドから車で約3時間の距離で、美しい海岸線に面したフィティアンガ周辺は当時から北島でも最高のリゾート地のひとつとされていた。町の海岸線は覚めるようなマリンブルーで、普段は人の住んでない別荘やモーテルが立ち並び、毎年、夏になると町の人口は10倍に膨れ上がる。そんな町に人口過密の東京から私たち親子は一挙に移り住んだのだ。何もかもがあまりにも東京と違うので私たち親子はただただ好奇心でわくわくしていた。続きを読む

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Evakona Student Anke Maurer 「すべてが最高。フレンドリーな先生達は、いつも助けてくれて、常にクラスには笑いがあった。それからスタッフ!オフィスに行けばいつでも助けてくれた。」
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Evakona Student Carlo 「クラスはとても楽しくて先生達も愉快だった。ここに来る前も何年か英語を勉強したけどここにいる期間が一番上達したと思う。すごくよいステイだったし、また是非この国に戻って来たいと思う。」
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