千明さんは日本の高校1年生の時にニュージーランドの高校に留学することを決めました。入った高校は進学校だったので、高1の最初からみんなが良い大学を目指していて、千明さんはそのような固定観念に同調できず、学校での勉強にも身が入らなくなり、この環境は私には合っていない!と心の中で叫んでいたそうです。そしてしばらくするうちに学校にも行けなくなってしまいます。心配したご両親は様々な選択肢を提案してくれたそうですが、その提案の中の一つに留学という選択肢があったのだそうです。ご両親にしてみればあくまでもそれは選択肢の一つで国内にいてほしいと願っていたのですが、そのご両親の気持ちとは裏腹に千明さんははじめから留学するという選択肢に強く惹かれます。
そしてついに日本の高校を辞めてニュージーランドのエバコナの高校準備コース入学することになりました。留学1年目のエバコナで千明さんは日本の高1にあたるニュージーランドの高校11年生の単位を勉強して取得し、翌年、現地高校の12年生(日本の高2)に編入します。千明さんがニュージーランドにきて一番驚いたのは文化や考え方の違いだったそうです。特に2年目に編入したニュージーランドの高校ではそれぞれの生徒が自分の好きな科目や学習分野を自分で選び、自分のペースで勉強ができます。この教育システムは日本の進学校を経験した千明さんにとってあまりに真逆の考え方で大きなカルチャーショックだったそうです。
高校を卒業した千明さんはそのままニュージーランドで進学を希望します。そして首都ウェリントンにあるVictoria University(国立のビクトリア大学)のFoundation course (準備コース)にまず入り、そこで最初の8カ月程勉強しから、大学に進みました。Foundation course (準備コース)にまず入り、そこで最初の8カ月程勉強してから、大学に進みました。大学ではBachelor of Art (linguistics and Second Language Education) 言語学の学士を勉強した千明さん。きっかけはある人と話している時に「言語」というものの奥深さと面白さを感じたからだそうです。
大学を卒業後千明さんはそのまま首都ウェリントンにある大手の語学学校に日本人現地スタッフとして就職します。そこでは留学生のお世話をする仕事を数年しました。語学学校での仕事は自分のやりたい事にピッタリで充実した時間を過ごせたそうなのですが、仕事を通してニュージーランドの永住権を取得できた時点で転機が訪れます。ニュージーランドに永住できると思ったら、今のうちに一度日本にも行って何かチャレンジをしてみたいという気持ちが強く沸いてきたのだそうです。
東京に戻った千明さんは英語力を生かす仕事を探していてたまたま日本の外務省での仕事を見つけます。外務省での仕事はニュージーランドを含む国々との二国間外交を担当し、新しい出会い、新しい経験の連続だったそうです。それは長時間の激務でもあり、仕事はとてもハードだったそうですが、他の職場では経験できない多様な経験ができてとても刺激のある職場だったそうです。この仕事を通してニュージーランド大使館にも知り合いができ、そのつながりでその後東京のニュージーランド大使館の現地スタッフとして採用されます。
現在働いているニュージーランド大使館ではニュージーランドの首相訪問のスケージュールを組んだり、ラグビーワールドカップの時には日本の企業や政府の人を集めてイベントを開催する等、幅広い分野の仕事に関わっています。またニュージーランドと日本の協力関係を増やしていくためのいろいろなプロジェクトにも携わるそうです。スポーツや姉妹都市交流等を推進するためのアイディア、企画を考案する等、常に積極性と主体性を持って想像力豊かに仕事をする事が求められる職場だそうですが、そんな時、千明さんは留学で体験的に得た学びの数々が実際にすごく役立っている事を強く感じるそうです。
今や英語を話すことができるのは当たり前になってきている時代、ただ英語を流暢に話せるだけでは決してグローバルな人材にはなれないと千明さんは言います。プラスアルファで何ができるのかと考えた時、彼女の仕事に最も生かされているのは留学という異文化を通して体験的に体得したCritical thinking 論理的で客観的な視点だと言います。
千明さんは2つの異文化を体験したことで、今では違う文化や価値観の人々も理解でき、相手にも自分の視点を分かってもらえるように論理的に伝えることができ、また違う視点や価値観の相手を納得させて問題を解決していく能力がついたと話ます。留学を通して様々な壁を乗り越える経験があったからこそ得たこの能力は千明さんにとって国際ステージで仕事をする上での大切な宝となっています。真のグローバル人材として、今日も千明さんは国際都市東京で生き生きと活躍しています。
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